第1章:2ページ。

前ページでは、固有空間と”系”の固有空間の考え方を整理しました。
しかし、この状態では固有空間と”系”の固有空間の関係があいまいなままです。

前ページでは自動車の固有空間から系の固有空間を導いたため、
一つの”系”の中に複数の固有空間が存在したとき、何が基準なのかがわからなくなってしまいます。
本当はそこまで考えて説明すればよかったのですが、リアルタイム記事なので説明に一貫性を持たせるのは難しいということでご了承ください。

そこでこのページでは整理した、固有空間と”系”の固有空間の関係、を明らかにしたいと考えます。



自分を含めてすべての対象は固有の3次元空間と時間(4次元時空)を持っている

固有の3次元空間は直交座標系なので状況に応じて任意の立体座標を使うことができます。
この直交座標系と時間との組み合わせを、4次元時空、と呼ぶことにします。



固有4次元時空の特徴

私を含め全ての対象は何らかの”系”に属する必要があります。

例えば、自動車1台を何もない空間に置いても何も起こりませんから、
単独な固有4次元時空に単位は存在しないことになります。

なぜなら自分の動作を決めるための基準がないからです。
逆に言えば、どんな基準にでも合わせることができる状態にあると言えます。

このような不安定な状態を避けるために、固有空間は何らかの”系”に属することを望むはずです。
例えば、原子は単独固有空間で存在することを嫌がるため、他の原子と一緒になって”化合物としての系”の中に納まる、と考えることもできます。
地球は太陽系に属し、太陽系は銀河系に属しています。だから地球は安定していると考えることもできます。



”系”は集合であり、”系”もまた固有の4次元時空を持っている

”系”を集合とすれば、その中の対象は要素になります。
ここで集合という言葉を使った理由は、Wikiや他の説明で集合の概念を使っているからです。そういう説明を見たとき怯まないようにするための予防対策です。



”系”の4次元時空は集合体要素に基準単位を与える。

例えば、自動車に”路面という系”を与えると自動車は走り出します。

このとき”路面という系”の要素である自動車の固有4次元時空は、自らの単位を”系”の4次元時空の単位基準に合わせたことになります。
このように考えると、”路面という系”の中に自動車を増やしたとき、全ての自動車は自ら”系”の単位に合わせて走り出すことができるようになります。

それでは基準を与えるべき立場にある、”系”の基準はどのように決めればいいのでしょうか?
それが前ページで見た、時間と距離の定義、になります。
1967年に国際単位系(SI)の秒の定義が決定され、1983年にメートルの定義は「光速」と「秒」で表す方法になりました。



ここまでの考え方を図示してみます。

統一

このアイデアを足掛かりにすれば相対性理論と量子論の統一への夢も膨らみます。



基準の”系”を入れ子構造にすると複雑な現象が起こる

”系の入れ子”とは、系の中に系を入れていく構造を指します。

例えば大型タンカーを考えてみると、”陸地(海底)という基準の系”に”海という基準の系”が入れ子になっています。
たったこれだけのことで、大型タンカーの固有空間は複雑な動きをします。

統一

船の速度(ノット)
船の速度を表す「ノット」は海上速度です。つまり海に対する速度です。
そして、海の潮流の単位も同じノットです。
1ノットは1時間に1海里進む速さです。1海里(国際海里)は1852メートルですので、1ノットは正確に1852メートル毎時となります。  
ですから、船の速度(ノット)を単純に陸地速度に変換しても意味がありません。
*船の海上速度を陸地速度に換算することを「対地速度」と言います。

例えば、10ノットで進む船の速度に対して潮流が10ノットで向かって来れば、船の速度は潮流によって打ち消されてしまい、船の対地速度は0km/hになります。つまり、その状態が続く限り何時間経っても船は静止状態のままですね。

だから大海原ではGPSで位置を取得しながら海図で常に方向を確認していないと潮流によってどこに向かっているのかわからなくなります。

ところで昔はどうやって船の速度と進行方向を調べたのでしょうか?
1カイリを適当に分割した間隔でこぶ結びを作ったロープに木切れを結んで船から海に投げ込んで調べたそうです。
すると、船が進む速度に合わせて木切れが流されロープが出ていきます。
その時こぶ結びの間の時間を測れば、実際の船の速度がわかります。
無題
このとき船尾からロープを流せば、船が実際に進んでいる方向もわかります。



”系”を入れ子にしたときどのくらい複雑になるのかを少しだけ考えてみます。

具体的には、平面上をまっすぐ南下して100km先のP点に2時間後に到達してください。
このような指示があった場合を考えます。

基準とする系が一つの場合:

自動車で考えると、自動車の固有空間は”基準単位の系の平面(陸上)”を取り込んでいますから、
方向は真南で平均速度:時速50kmで進めばよいことが計算できます。
道中では瞬時値である速度計が常に時速50kmを指していることを確認しながら進めばP点に指示通り到達できます。

基準とする系が入れ子構造で2つの場合:

大型タンカーで考えるときは港に直接入れませんから沖合基準で考えます。
大型タンカーの固有空間も”基準単位の系の平面(陸上)”を取り込んでいますから、
自動車と同じく対地速度で、方向は真南で平均速度:時速50kmで進めばよいことが計算できます。

しかし航海中は対地速度:時速50kmを維持するために、
人工衛星(陸地の要素と考える)を使ったGPSから瞬時値の位置情報を取得し、”基準単位の系の平面(海上)”の要素である潮流の瞬時値を取り込みます。

それらの結果から対地速度を計算しながら平均時速50kmを守って航海を続ける必要があります。
上記はあくまでも説明のための考え方です。興味のある方は別途お調べ下さい。

単一”系”の中を移動させる自動車の運転に比べ、
”系”の入れ子空間の中で移動させる船はかなり複雑な操縦になることが分かります。



エーテル説と相対性理論の違い

この2つは”系”の違いと考えることもできます。
まずはエーテル説の考え方を Wikipedia から抜粋してみます。


ガリレイ変換とは、観測者の視点を変えることである。

例えば時速80キロメートルで走る電車の中を、進行方向に向かって時速4キロメートルで歩いている乗客は、別の乗客からは、時速4キロメートルで動いているように見える。しかし、電車の外にいる人からは、この乗客は時速84キロメートルで動いているように見える。見る人が変われば運動も異なって見える、その見え方の違いを定式化したものがガリレイ変換である。

そしてニュートンの運動方程式は、ガリレイ変換をしても、つまり誰から見ても、成立する。このように、常に成立することを「不変」という。


マクスウェルの方程式によれば、電磁波の速さは、実験的に知られていた光の速さと一致した。
この事実から、光は電磁波の一種であると推定された。
しかし、マクスウェルの方程式によれば、光の速さは誘電率と透磁率から定まるが、この値は、観測者の運動に依存しない。つまり、電車に乗っている人にとっても、外にいる人にとっても、光の速さは同じでなければならないことになる。すなわち、マクスウェルの方程式はガリレイ変換について不変ではない。
全ての物理学理論はガリレイ変換について不変であるべきだと考えられていたため、「エーテルに対する絶対座標系」が存在し、マクスウェルの方程式はこの座標系においてのみ厳密に成立すると考えられた。

マクスウェルは1870年代後半に、地球の運動が光の速さに及ぼす影響を調べることで、地球の絶対座標系に対する運動を知ることができると述べた。地球はエーテルの中を進んでいるのであるから、地上ではいわば「エーテルの風」が吹いていることになり、これは光速の変化として捉えられると考えた。




以上のことから、エーテル説は絶対座標を極めるために陸地と海の関係を使ったことが分かります。

つまり、宇宙空間にはエーテル(海の潮流)があるから、光は進みにくく光速度一定は常に不変であり、地球はその潮流に囲まれている(エーテルの風の)ため光の光行差も起こる、と考えました。
同時にこのようなことが起こるのは、限定されたエーテルの絶対座標系空間に限るとしました。

これに対してアインシュタインは、エーテルの絶対座標を捨てない限り一般空間への拡大はできないと考え相対性理論でそれを実現しました。


ではエーテル説の絶対座標思考を捨てるためにアインシュタインはどのような思考をしたのでしょうか?

それが、地上凸凹説の相対座標思考です。
エーテル説が地上に海を置いたとするならば、アインシュタインは地上の表面を凸凹にしたことになります。


この全く異なる2つの思考の違いも真上から光の速度を観測すると同じ結果に見えます。

絶対座標思考では光は常に逆向きのエーテル潮流を受けるため光速度はすべて同じに見えます。
相対座標思考では光は常に凸凹の道を進んでいるため光速度はすべて同じに見えます。
*真上から見るとエーテル潮流も地上の凸凹もわからないので、どちらの光速度も同じ結果になります。


先に見た通り、
大型タンカーの航海を考えるとかなり面倒でしたから、それを光に割り当てるのはもっと厄介です。
では地上凸凹説は簡単かと言うと、
凸凹とは曲面の世界ですから非ユークリッド幾何で曲率を扱うことになり、同じく厄介です。


ただ一つ言えることは、どちらの説をとっても摩訶不思議な現象は起こらないということです。
ですから、摩訶不思議な現象が起こったときには解釈が間違っていると考える勇気も必要です。


このブログは、間違っていた自分の考えを今後も間違えながら正していこう、というブログになっています。